実は奥が深い!知ってるようで知らない看板の歴史

大阪の看板屋 あいらんど工房ブログ担当の松本です。

街を歩くと、様々な種類の看板が目に入ります。
袖看板、ネオンサイン、ターポリン…
看板は時代を映す鏡です。
文化や技術の発展を物語るものなのです。
今回は、日本の看板の歴史を紐解き、その変遷と魅力を探っていきましょう。

今回は「実は奥が深い!知ってるようで知らない看板の歴史」をご紹介します。

奈良時代から存在する看板!?

看板の起源はとても古いのです。
実は、奈良時代まで遡ります。
当時の平城京には『標』と呼ばれる標識が立てられていました。
その『標』は、商品や場所を示していたのです。
平安時代になると『暖簾』が登場。
この暖簾は禅宗とともに、中国から日本にきたものなのです。
さらに、室町時代には『簡板』と呼ばれる木の札が使われ始めます。
『簡板』は文字で商品名を記したものでした。
室町時代は、一般庶民に教育を提供する寺院が登場。
そのことにより、大幅に識字率が上昇したのです。
識字率の上昇の結果、文字が読める人々が増え、いたるところで文字を見かけるようになりました。
そのことが『簡板』が普及することに拍車をかけたのです。

現代式の看板の基礎 -江戸時代-

江戸時代に入ると、一般庶民の子どもたちは寺子屋で読み書きを習うようになりました。
その結果、室町時代以上に識字率が高まることになったのです。
特に商人階級では文字の読み書きが必須。
当たり前のように『屋号』や『商品名』を文字であらわすようになりました。
これが今の看板の形の元となっているのです。
江戸時代中期の元禄時代。
華やかで装飾性の高い看板が制作されるようになりました。
これは、浮世絵や歌舞伎の影響を受けたからと言われています。
大金をかけた派手な看板は人気を集めました。
これは今とさほどかわりませんよね…

しかし、財政難に苦しむ徳川幕府は8代将軍吉宗公の時代に、質素倹約を命じました。
この結果、豪華な看板は一時影を潜めたのです。

現代式の看板の基礎 -江戸時代-

明治時代に入り、国策により西洋文化が流入することとなりました。
その結果、江戸時代に制作されていた看板も洋風に様変わりします。
さらに、活版印刷が登場することで看板そのものが量産化されることになりました。
また、ガス灯が普及することで夜間照明が可能。
その結果、写真やイラストを用いたモダンな看板が登場したのです。

大正・昭和時代には、電灯やネオンサインが発明され、夜間でも視認性の高い看板が制作されるようになりました。
映画や自動車の普及に伴い、斬新なデザインや動きを取り入れた看板も登場します。

現代では、印刷技術の向上やデジタル技術の発展により、より精巧で表現豊かな看板が制作されるようになりました。
ここ最近、街中で見かける3D広告やプロジェクションマッピングなどは、驚くべき技術です。

まとめ

今回は、『実は奥が深い!知ってるようで知らない看板の歴史』のご紹介でした。
看板は広告手段としてもちいるものですが、技術の革新によって様々な変遷をたどってきました。
しかし、伝える情報の基礎自体は江戸時代には確立されており、その時代の人々がいかに深く人間の感性を考慮し観察していたのかが伺えます。
こうした基礎的なものに、多くの技術が加味され、看板は歴史を歩んできたのです。
その結果、人々の暮らしに彩りを添えてきました。

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